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福岡地方裁判所 昭和61年(ワ)3116号 判決

主文

一  被告は原告に対し、金三八五万三四二二円及びこれに対する昭和六一年一二月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

【事 実】

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、九一四万二六三七円及びこれに対する昭和六一年一二月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  1について仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一)訴外安元義博(以下「安元医師」という。)、同宮崎直和(以下「宮崎医師」という。)及び同別府宗茂(以下「別府医師」という。)の各医師は、昭和五六年二、三月当時、被告経営の福岡記念病院(以下「被告病院」という。)整形外科において医師として診療にあたつていた者である。

(二)原告は昭和五六年二、三月当時、福岡市教育委員会社会教育部油山青年の家(以下「油山青年の家」という。)に勤務し、現在は福岡市教育委員会社会教育部社会教育課城南市民センター(以下「城南市民センター」という。)事業係長として勤務している者である。

2  本件損害の発生

(一)原告は、昭和五六年二月一五日夜、ソフトボールの練習中に、右手第四指近位指節間関節(以下「右第四指PIP関節」という。)を負傷したので(以下「本件負傷」という。)、その治療を受けるべく被告病院に赴き、当直医である安元医師の診察を受けたところ、同医師は、X線撮影の後、関節捻挫であり一週間程湿布すれば良くなると診断して、右第四指を伸展位で固定し、湿布薬及び抗腫脹剤を投与し、翌日の来院を指示した。

(二)原告は、翌日の一六日、被告病院を訪ねたが、整形外科の診療を受けられなかつた。

(三)原告は、同月の一七日と二八日にそれぞれ被告病院に通院したが、その日の担当医である宮崎医師もやはり関節捻挫と診断し、湿布薬の塗布等初診時と同様の治療を継続した。

(四)右各治療にもかかわらず患部の状態は一向に好転しないので、原告は、同年三月七日、再度被告病院を訪れたところ、その日の担当医である別府医師は初めて脱臼骨折であると診断し、直ちに整復して屈曲位固定術を施した。

その際、別府医師は、「受傷後三週間を経過しているので、関節に肉が巻きこみ、整復しても脱臼の状態に戻る可能性が強い。」と説明した。

同月一三日、ギブスをはずしたところ、同医師の懸念したとおり原告の右第四指PIP関節は脱臼状態に戻つてしまつた。

(五)その後、原告はマッサージ治療を受けたが効果なく、同年四月九日、福岡大学医学部付属病院(以下「福大病院」という。)にて別府医師よりPIP関節の脱臼整復、骨接合の整形手術を受け、同日より同年五月一九日まで入院し、更に、同年八月までリハビリテーションを続けたが結局後遺症が残存し、同年八月一〇日右第四指PIP関節の屈曲、伸展障害の後遺症診断(一二級九号)を受けたものである。

(六)原告は、本件当時、油山青年の家に勤務していたところ、福大病院入院中整形手術前に原告に対し、社会教育課長より、本庁社会教育課のポストへ異動するについての内示の打診があつたが、同手術を受ける旨話したところ、「一カ月も字が書けないでは仕事に差し支える」ということで、右内示は取り止めとなり、原告の同年四月の異動はなかつた。そのため、原告は昭和五七年西市民センターを経て、昭和五九年五月一日付でようやく現職の城南市民センター事業係長に、給与等級でいえば、四等級二一号から三等級一五号に昇進した。

(七)原告は、現在、右後遺症によつて右第四指を屈曲したときに鶉卵位の空間ができ、右手で小さな物を握つたり、強く握つたりできなくなつた。そのため、大便後の処理が右手でできなくなつたり、バスの両替機の小銭がつかめなかつたりするなど、日常生活に不自由し、鎌がすべつてうまく使えなかつたり、また、塔屋に上れなかつたりするなど、施設管理の仕事上も差し支えがでている。さらに、原告はバトミントンが大好きで、市内初心者大会壮年の部で準優勝したこともあつたが、ラケットがすつぽぬけると危険であるということで、バトミントンもできなくなつてしまい、大変寂しい思いをしている。

3  因果関係

原告の本件負傷は、軽微な骨折であつたのだから、早期の屈曲位固定によつて整復可能であつたにもかかわらず、被告病院における不適切な診療の結果、原告は完治する機会を逸したのみならず、被告病院において三週間以上にわたる誤つた伸展位固定が維持された結果、当初の骨折が背側脱臼骨折へと増悪していたため、手術による整復と接合を余儀なくされ、しかも、手術は成功したものの、原告の右手第四指の機能は完全には回復せず、前記後遺症を惹起するに至つたのである。

4  被告の責任

(一)昭和五六年二月一五日、原告と被告病院との間には、原告の症状及び原因を医学的に解明し、必要にして十分な治療を実施することを目的として、診療契約が結ばれたのであるから、被告は、安元及び宮崎の両医師その他の履行補助者をして右契約上の債務の本旨に従つて誠実に右診療をなさしめるとともに、自らもこれをなす必要があつた。

(二)PIP関節は、他の指関節に比べて最も大きな可動域(屈曲一〇〇度ないし一一〇度)を有し、指の機能を維持する上で重要な役割を担う関節であるが、この関節に脱臼や骨折を生じた場合でもこれを早期に発見できれば、悲観血的治療によつて満足すべき機能的な治癒を得ることが可能である反面、これらの障害が三週間以上発見されずに経過すると、通常、手術的治療を要し、その成績も様々であつて、しかも、PIP関節の負傷は、それが簡単なまたはただの捻挫と思われる場合であつても、亜脱臼であつたり、カプセルの断裂や軽度の抉出骨折を伴う自己整復脱臼であることもあるから、この関節の傷害の診療に従事する者としては、右の可能性に留意しつつ、慎重に診断、治療しなければならない右診療契約上の注意義務を負うものであるが、被告並びにその履行補助者である安元及び宮崎の両医師その他の被告病院職員は、以下のとおり右注意義務を怠つたことにより原告の前記後遺症を惹起せしめたものである。

(1)安元医師の診療上の過失

(a)本件負傷を関筋捻挫と誤診した過失

一般に骨折の有無の判断は、骨折部に発生する局所症状、即ち、<1>骨折を起こすと考えられる外傷機転の存在、<2>受傷部位の腫脹、圧痛、皮下溢血、<3>変形、<4>機能障害、<5>異常可動性、コツコツ音等に注意しさえすれば容易になしうるものであり、また、骨折の診断において、X線写真による診断は不可欠のものとされているものの、この診断にあたつては、正面及び側面二方向から正確に患指のX線写真撮影を行うことが必要であり、特にPIP関節の正確な側方撮影が重要な要件とされているのであるから、医師としては、これらの局所症状及び正確なX線写真をもとに的確な診断をなすべき注意義務を負つているものである。

しかるに、安元医師は、原告の説明及び原告を診察することによつて、1原告はグローブをしていない右手指に下から跳ねてきたボールがあたつて受傷したこと、2受傷後一五分が経過した初診時においては、発赤、浮腫や顕著な腫脹があつたこと、3第四指を伸ばした時には先端が第五指側に六ミリメートル程横に曲がる変形があつたこと、4負傷時には自動的には三分の二しか戻らず、初診時には痛みのために関節の動きが悪く、曲げ伸ばしも不自由な機能障害があつたこと、5他動的に伸ばすと「こつつ。」という音がしていたということといつた骨折の局所症状を認識していたのであり、また、原告は、本件負傷が通常の突き指と全く異なつていたので、夜間でありながら負傷後直ちに被告病院を訪れ負傷状況を詳しく安元医師に訴えているのであるから、同医師としては、これらの原告の症状をもとに、その骨折の存在を容易に診断できたにもかかわらず、これらの局所症状を重視せずに、正確な側面からではなく、斜位から撮影されたために、関節面中央部がくぼんで写るなど患指の状態自体もわからない欠陥写真であつた不正確なX線写真に基づいて原告を診断したために、PIP間節脱臼骨折の存在を看過し、関節捻挫との診断を下したものであるから、同医師の右診断は不適切であつたものといわなければならない。

(b)伸展位固定を施した過失

PIP関節の治療にあたつては、脱臼骨折と診断された場合はもちろん、仮に関節捻挫と診断された場合であつても、その治療にあたる医師としては、患部を屈曲位にて固定しなければならないにもかかわらず、安元医師は原告に対して伸展位固定を施したものであるから、同医師の右治療は不適切であつたものといわなければならない。

(2)翌日診察しなかつた過失

骨折の診断においては、初診時において不分明であつても、その後の一定の時間の経過による臨床症状の変化により確定的な診断が容易に下される場合が少なくなく、翌日の診断は、初診時の誤診を正す上で極めて重要であるから、医療機関としては骨折の疑いのある患者に対しては初診日の翌日においても診察を行うべき注意義務を負つているにもかかわらず、被告病院の担当者は、単に医師の多忙という理由で、折角来院している原告に対して診療を行わずに帰宅させたものである。

(3)宮崎医師の診療上の過失

(a)二月一七日に十分な診察をしなかつた過失

安元医師は、PIP関節脱臼骨折の診断にあたる医師として、前記(1)(a)記載の注意義務を負うと共に、既に他の医師の診療を受けた患者を新たに診察する医師としては、従前の診察結果を鵜呑みにせずに、更に必要な検査等を行つて十分な診察を尽くすべき注意義務を負うものであるが、宮崎医師は、二月一七日に原告を診察した際、原告の指が曲がつたままで腫脹があり、触診の結果、「側方不安定」ないし「背側不安定」も認められかつ、触診中、痛みのため原告の気分が悪くなり、意識レベルが低下するような事件がおこる程に圧痛が強かつたのであるから、X線の再検査等を行つて、原告の病状を正確に把握すべきであつたにもかかわらず、原告を放置したままで、何らの診察をもなさなかつたのであるから、同医師は十分な診察を怠つたものといわねばならない。

(b)二月一七日の診察の際に伸展位固定を継続した過失

PIP関節の脱臼の可能性を認識した医師としては、これを防止するために、屈曲位固定を施すべき注意義務を負うものであるところ、宮崎医師は、二月一七日に原告を診察した際、PIP関節の右外側不安定の原因として靭帯損傷が起こつていると診断し、かつ、靭帯損傷は背側脱臼につながることをも認識していたのであるから、同医師としては右脱臼を防止するための屈曲位固定を行うべきであつたにもかかわらず、漫然と伸展位固定を継続したのであつて、同医師の右治療は不適切であつたものといわなければならない。

(c)二月二八日の診療において漫然と従前の治療を継続した過失

診察後相当期間を経過してもなお患者の症状が好転しない場合において、その治療にあたる医師としては、従前の診療を踏襲するのではなく、改めて診察を行い治療法の変更等を検討すべき注意義務を負うものであるところ、宮崎医師は、負傷後二週間が経過した二月二八日においても原告の右手第四指PIP関節に腫脹と圧痛が継続して認められたにもかかわらず、漫然と関節捻挫の治療と伸展位固定を継続したのであつて、この点について同医師の診療は不適切であつたものといわなければならない。

(4)被告病院の診療体制における構造上の過失

研修医をおく病院には、研修医の行う診療について定期的にカンファレンス等を実施して、その診療に誤りのないよう努めるべき注意義務があること、被告病院においては、本件のごとく初期治療が極めて重大な意義を有している原告のPIP関節の骨折治療にあたつて、<1>初診時において、研修医であり、かつ、非専門科の当直医である安元医師が原告の診療にあたり、しかも、同医師は原告に対して翌日の来院を指示していたにもかかわらず、被告病院内部においては、そのことが伝達されなかつたために、整形外科としては重要な診療の機会であつたはずの翌日には診察すらなされなかつたこと、<2>翌々日に、研修医ではあるものの整形外科医である宮崎医師が、安元医師の記載したカルテの内容につき正確に判読もできないにもかかわらず、同医師の診断と治療について専門科医としての点検を怠り、漫然と診療していること、<3>本件負傷から約二週間を経過した二月二八日においても原告の症状が回復に向かつていないにもかかわらず、宮崎医師は、X線写真撮影もせずに従前の治療を繰り返していること、<4>この間、一定の経験を有する別府医師との間で何らの連絡・指導もなされていないことなど、原告に対して必要最小限度の医療すら提供できない診療システムのもとで医療活動が行われていたのであるから、被告病院の診療体制には構造上の欠陥があり、この点について被告には過失が認められる。

5  損害 合計九一四万二六三七円

被告の債務不履行によつて原告は以下の損害を被つた。

(一)入院雑費 二万八七〇〇円

但し、一日七〇〇円とし、入院期間は四一日である。

(二)通院交通費 七四八〇円

但し、片道一一〇円、往復二二〇円を要する通院を三四日間続けたものである。

(三)休業損害 三七万九七五〇円

但し、賃金日額一万〇八五〇円であつたところ、休業日数(除日曜日)三五日に及んだものである。

(四)入通院慰謝料 一〇〇万円

但し、入院四一日間、通院五カ月二五日間に及んだものであり、その慰謝料は一〇〇万円を下ることはない。

(五)昇進遅延による逸失利益 三五三万六七〇七円

福岡大学付属病院への入院及び整形手術によつて、昇進が遅延したことは前述のとおりであるが、本庁へ異動すれば、一年で三等級へ昇給するのが通常であるところ、実際に原告が昇給したのは昭和五九年であるので、被告の過失によつて二年間昇給が遅延したものであり、このうち少なくとも一年間昇給が遅延したことによる損害は被告に負担させるのが相当である。

(1)給料分 二八〇万〇八一一円

四等級二一号は月額二五万六七〇〇円、三等級一五号は月額二六万八八〇〇円であり、その差額一万二一〇〇円は昇進が遅延したことによる一カ月分の逸失利益である。これから先、原告が昇進すれば、被告の債務不履行なかりしとせばありうべき原告の地位も同時に上昇して行くから、この差は退職に至るまで二〇年間なくならない。ボーナスは五カ月分であるから、中間利息をホフマン式係数で控除すれば、逸失給料分は二八〇万〇八一一円となる。

一万二一〇〇円×(一二+五)月×一三・六一六〇=二八〇万〇八一一円

(2)退職金分 三五万三九二五円

福岡市職員退職手当支給条例(第二条)によれば、「退職した者に対する退職手当の額は、その者の給料月額に、その者の勤続期間を次の各号に区分して、当該各号に定める割合を乗じて得た額の合計額とする。

1  一年以上一〇年以下の期間については一年につき一〇〇分の一〇〇

2  一一年以上一五年以下の期間については一年につき一〇〇分の一三〇

3  一六年以上二〇年以下の期間については一年につき一〇〇分の一五〇

4  二一年以上三〇年以下の期間については一年につき一〇〇分の一六五

5  三一年以上の期間については一年につき一〇〇分の一五〇」

とされているところ、原告は昭和三五年(一八歳)で就職したから、定年まで勤続期間は四二年となる。よつて、逸失退職金は三五万三九二五円となる。

一年~一〇年 一万二一〇〇円×一〇〇/一〇〇×一〇年=一二万一〇〇〇円

一一年~一五年 一万二一〇〇円×一三〇/一〇〇×五年=七万八六五〇円

一六年~二〇年 一万二一〇〇円×一五〇/一〇〇×五年=九万〇七五〇円

二一年~三〇年 一万二一〇〇円×一六五/一〇〇×一〇年=一九万九六五〇円

三一年~四二年 一万二一〇〇円×一五〇/一〇〇×一二年=二一万七八〇〇円

合計金額 七〇万七八五〇円

七〇万七八五〇円×〇・五(中間利息控除)=三五万三九二五円

(3)年金分 三八万一九七一円

退職共済年金については、「六五歳に達すると、次の算式により厚生年金担当部分と職域年金担当部分と加給年金額とを合算した額が、退職共済年金として支給される。

(厚生年金担当部分)

平均給料月額×八・六/一〇〇〇×組合員期間の月数

(職域年金担当部分)

平均給料月額×一・三四/一〇〇〇×組合員期間の月数」とされている。

従つて、厚生年金担当部分五万二四四六円(一万二一〇〇円×八・六/一〇〇〇×五〇四月)に職域年金担当部分八一七一円(一万二一〇〇円×一・三四/一〇〇〇×五〇四月)を加えた六万〇六一七円が年金の年額となるところ、昭和五九年簡易生命表によると六五歳男子の平均余命は一五・四三年であるから中間利息を控除した逸失年金は、三八万一九七一円となる。

六万〇六一七円×(一九・九一七四-一三・六一六〇)=三八万一九七一円

(4)合計 三五三万六七〇七円

よつて、昇進遅延による逸失利益合計は、三五三万六七〇七円となる。

二八〇万〇八一一円+三五万三九二五円+三八万一九七一円=三五三万六七〇七円

(六)後遺症逸失利益 二〇九万円

但し、一二級九号相当(自賠責基準)の労働能力喪失をしたものである。

(七)後遺症慰謝料 一六〇万円

原告は現在効き手の指が自由にならないのであるから、日常の基本的な挙措にも不自由しており、その慰謝料は一六〇万円を下らない。

(八)弁護士費用 五〇万円

原告は、被告が任意の支払いに応じないために、本訴請求遂行を代理人弁護士らに依頼し、弁護士会報酬規定にもとづき報酬契約を結んだが、そのうち五〇万円は被告に負担させるのが相当である。

6  よつて、原告は、被告に対し、債務不履行による損害賠償請求権に基づき九一四万二六三七円及びこれに対する催告の後である昭和六一年一二月一二日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1(一)請求原因1(一)の事実は認める。

(二)同1(二)の事実は知らない。

2(一)同2(一)の事実のうち、原告が昭和五六年二月一五日、被告病院に赴き、当直医である安元医師の診察を受けたところ、同医師は、X線撮影の後、関節捻挫であると診断して、湿布薬及び抗腫脹剤を投与したことは認め、その余の事実は否認する。

(二)同2(二)の事実は否認する。

(三)同2(三)の事実は認める。

(四)同2(四)の事実のうち、同年三月七日、別府医師は初めて骨折脱臼であると診断し、直ちに整復して屈曲位固定術を施したこと、その際、別府医師は、「受傷後三週間を経過しているので、関節に肉がまきこみ、整復しても脱臼の状態に戻る可能性が強い。」と説明したことは認め、同月一三日、ギブスをはずしたところ、同医師の懸念したとおり原告の第四指は脱臼状態に戻つてしまつたことは否認し、その余の事実は知らない。

(五)同2(五)の事実のうち、原告がマッサージ治療を受けたことは否認し、その余の事実は知らない。

(六)同2(六)の事実は知らない。

(七)同2(七)の事実は知らない。

3  同3の事実は否認する。

4(一)同4(一)の事実は認める。

(二)同4(二)の事実は否認する。

5  同5の事実は知らない。

三  被告の主張

1  骨折脱臼の原因について

原告は、二月一七日の診察中に意識消失によつて倒れ、また、福大病院整形外科入院後の四月一三日にも同様に意識消失によつて倒れているのであつて、このように原告は三月七日の診断以前に意識消失によつて倒れるなどして、関節捻挫を悪化させ、もしくは、新たに脱臼骨折を生ぜしめたものである。

2  被告の無過失

(一)安元医師の診療行為に過失はない。

(1)安元医師は、昭和五六年二月一五日午後九時五分頃、原告を診察したのであるが、その内容は、受傷の原因を問診し、視診、触診等を行い、また、念のために右手第四指のX線撮影検査を行つて、その正面像及び側面像を撮影するというものであり、そのX線写真からすると、明らかな骨折及び骨折線は認められず、また、関節に大きな偏位も認められなかつたので、同医師は「脱臼骨折」とは診断せずに「捻挫」と診断したのである。

仮に右のX線写真の側面像がやや斜位から撮影されたものであつたとしても、このようなことは比較的よくあることであつて、一応満足すべき検査がなされたものと評価できるのであるから、安元医師が原告の骨折を発見できなかつたとしても、同医師に過失はない。

(2)安元医師は、「捻挫」の診断のもとに、原告の右手第四指を湿布のうえ固定したのであり、また、腫脹を除去するために「キモタブ」一日六錠、三回に分けて毎食後二錠ずつ服用するように指示して与えており、さらには、原告に対して翌日必ず整形外科の医師に診察してもらうよう指示していたのであつて、休日夜間の救急医療担当者として十分の応急処置を行つていると評価できるのであるから、同医師の治療につき過失があるということはできない。

(二)昭和五六年二月一六日の診察について

初診日の翌日である昭和五六年二月一六日、原告は被告病院の内科において感冒の治療を受け、また、その際に湿布の処置も受けているのであるが、仮に医師の都合によつて治療が受けられなかつたとしても、診療上格別の不都合が生じたわけではなく、翌日の来院指示がなされたことによつて、被告としては、その義務を十分に果たしたものである。

(三)宮崎医師の診療行為に過失はない。

(1)二月一七日の診察について

宮崎医師は、前々日に撮影されたX線写真を見て、原告の負傷を関節捻挫と判断した後、原告の診察を行つたのであるが、触診した際に、原告の意識レベルが非常な低下を来し、内科医への転医を余儀なくされて、診察中止のやむなきに至り、しかも、内科医受診後においても原告は気分が悪そうであつたので、同医師は原告が再び意識消失を生ずれば大変なことになると判断して、湿布処置のみで帰宅させたものである。

また、内科医の診察結果によれば、原告の血圧検査の結果は九〇ー六〇であり、その心電図測定の結果によつても異常が認められたのであつて、原告には「アダムス・ストークス症候群」の診断名がつけられ、キリット(糖類剤)、セジランド(強心利尿剤)の注射がなされ、タルーシン(強心剤)三錠、スローケー(カリウム剤)三錠、アジマリン(不整脈用剤)三錠等を毎食後服用するように指示した上で、これらを七日分投与されているのである。

このように、診察の途中で予期せぬ事態が生じ、これによつて死をも招き兼ねなかつたのであるから、かかる場合における医師のとるべき処置としては、宮崎医師の判断は正しかつたものといわなければならないのであつて、この日の診療において、宮崎医師に過失はない。

(2)二月二八日の診療について

宮崎医師は、二月二八日の診療の際に、原告から依然として腫脹と圧痛が続いている旨伝えられたのであるが、同医師は原告の症状を捻挫であるものと考えており、捻挫の場合でも靭帯損傷が生じていれば腫脹と圧痛が続くことが考えられ、かつ、原告の右手第四指、第五指のテープで固定されている部分を触つたところ、原告が気分が悪いと訴えたので、診察を中止せざるをえなくなり、改めてX線写真を撮影することが出来なかつたのである。

この場合においても、前回の二月一七日における診察の際と同様に、診察を続行することによつて生じる危険を回避するために、これを中止したのであつて、かかる行為は医師の裁量行為として認められてしかるべき処置であるから、この日の診療において、宮崎医師に過失はない。

(四)被告病院の診療体制について構造上の過失はない。

被告病院における原告に対する診療がカルテと検査結果の引き継ぎによつていたとしても、これをもつて被告に法的な過失があるとはいえない。

(五)まとめ

原告は、昭和五六年二月一五日、一六日、一七日、二八日、三月七日、一三日、二〇日の七回に渡つて被告病院の診療を受けているのであるが、初診時に安元医師が「右手第四指PIP関節捻挫」の診断を行い、その後、右診断のもとに治療を受け、経過観察の後に、受傷より二一日経過した三月七日に至つて再度のX線撮影検査を受けた結果、「脱臼骨折」との診断に至つたものである。

これは、初診時後の病状の推移によつて確定診断にいたつたものであつて、医療行為上許された期間の範囲内で確定診断に至つたものであるから、被告病院の行つた診療行為全体をながめた場合、適切に診療が行われたものと評価すべきであつて、被告には過失はないものといわなければならない。

3  原告の後遺症について

(一)別府医師は、昭和五六年三月七日、X線検査の結果「脱臼骨折」と診断し、アルフェンスシーネ固定を行い、保存的療法を試みたが、背側脱臼が整復されず、また、骨折が関節内骨折であつたので、手術の適応ありと判断し、このことを三月一三日に原告に伝えて了解を得、同月二〇日、直ちに被告病院において手術を受けるように勧めたところ、原告は別府医師が福大病院整形外科に帰つてから手術を受けたい旨主張したので、別府医師は、関節拘縮予防の観点から、固定期間をいたずらに延長するよりも、早期に観血的整復術を行い、早期に運動開始を図るべきであると原告に説明したにもかかわらず、原告は福大病院整形外科での手術を希望したので、別府医師は原告の主張どおりに手術を行うこととしたのである。

四月九日、原告は福岡大学整形外科に入院したのであるが、同月一三日、別府医師が右手第四指を触診している最中に、原告は突然意識消失を起こし、同月一四日、同大学循環器内科を受診し、同月二三日まで精密検査を受けたので、別府医師は、右検査の結果が出るのを待つて、同月二八日、関節内骨折部位の骨片を固定する手術を行つたものである。 右の手術結果は良好で、PIP関節内骨折にしては、手術に伴う合併症が最小限に止められているのであるから、右手術に伴う合併症をもつて損害と称することはできないのである。

(二)また、仮に、より早期に骨折の診断をしていたとしても、最終的に手術をなすべき可能性は十分に考えられるのであつて、原告の診察中における意識消失を考慮すれば、手術の際の万一の死亡などの重大な結果の発生を避けるために、むしろ、相当期間の精密検査は必要不可欠であつて、ほぼ本件と同様の過程を経たであろうと推測される。

従つて、本件において、原告に生じた損害は避けることができなかつたものといわなければならない。

四  被告の主張に対する認否

原告の主張に反する事実はすべて否認する。

第三  証拠《略》

【理 由】

一  当事者について

1  安元医師、宮崎医師及び別府医師は、昭和五六年二、三月当時、被告病院整形外科において医師として診療に当たつていた者であることは当事者間に争いがない。

2  《証拠略》によれば、原告は、昭和五六年二、三月当時、福岡市教育委員会事務吏員で、油山青年の家に勤務し、現在は城南市民センター事業係長として勤務している者であることが認められる。

二  本件傷害・後遺障害の発生について

1  原告が、昭和五六年二月一五日、被告病院に赴き、当直医である安元医師の診察を受けたところ、同医師は、X線撮影の後、PIP関節捻挫であると診断して、湿布薬及び抗腫脹剤を投与したこと、原告は、同月一七日と二八日にそれぞれ被告病院に通院したが、担当医である宮崎医師もやはり関節捻挫と診断し、湿布薬の塗布等初診時と同様の治療を継続したこと、同年三月七日、別府医師は初めてPIP関節脱臼骨折であると診断し、直ちに整復して屈曲位固定術を施したこと、その際、別府医師は、「受傷後三週間を経過しているので、関節に肉が巻きこみ、整復しても脱臼の状態に戻る可能性が強い。」と説明したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実及び《証拠略》の結果を総合すると、次の事実が認められる。

(一)原告は、昭和五六年二月一五日午後八時四五分頃、ソフトボールの練習中に、グローブをしていない右手第四指(薬指)に斜め下方からボールが当たつて同指に痛みを感じたので、同指の状態を確認したところ、同指は、PIP関節(中節骨と基節骨との間の関節。「近位指節間関節」ともいう。別紙手指構造図参照。)の付近から右第五指(小指)の方へ向かつて曲がり、同指と第三指(中指)の先端との間は約六ミリメートル程離れていた。また、同指PIP関節は、三分の二程は自力で屈曲できたが、完全に屈曲させるためには左手の介助が必要であつた。そこで、原告は、いつもの突き指とは違う異常を感じて、医師の診察を受けた方がよいと判断し、被告病院に赴いた。

(二)原告は、同日午後九時五分頃、被告病院において、当直をしていた研修医であり、かつ、整形外科の非専門医(専門は耳鼻科・放射線科)である安元医師の診察を受けた。同医師の問診に対して、原告は、グローブをしていない右第四指に斜め下方からソフトボールが当たり、同指に痛みがあると答えた。そこで、同医師は、視診及び触診の後、レントゲン技師に対して、原告の右第四指を正面及び側面の二方向からX線写真に撮影するように指示したが、この側面からのX線撮影は正確な側面からではなく、やや斜位から撮影されたために、不正確な影像となつてしまつた。

同医師の視診の結果によれば、右第四指PIP関節付近には、浮腫状の腫脹及び発赤が認められ、触診の結果によれば、同指PIP関節は自動的には屈曲運動ができない状態であり、他動的にも屈曲に制限があり、無理に屈曲すると疼痛が認められた。前記のやや斜位から撮影された側面像のX線写真によれば、骨片や大きな偏位は認められなかつたので、同医師は、主に右X線写真をもとに、原告の症状を右第四指PIP関節捻挫(関節捻挫とは、関節に生理的運動領域以上の運動が強制されて、関節に病的症状〔関節包や関節を補強する靭帯などの軟部組織が損傷を受ける〕が惹起されたもので、骨折や脱臼を伴つていないものをいう。)であると診断し、同指を湿布し、包帯で第三指とともに巻き、伸展位に近い状態で固定した後、湿布薬及びキモタブ(抗腫脹剤)を与えた。

そして、同医師は、原告に対して、翌日は是非来院して整形外科の専門医の診察を受けるように指示して、帰宅させた。

(三)原告は、翌日の一六日、被告病院を訪ねたが、整形外科の診察は受けず、たまたま、この日は風邪気味であつたことから、内科の診察を受けたのみで、帰宅した。

(四)原告は、同月一七日、被告病院において、整形外科の研修医である宮崎医師の診察を受けた。同医師は原告を問診して、原告がグローブをしていない右第四指に斜め下方からボールを受けて負傷したこと、同指はPIP関節の付近から右手第五指の方へ向かつて若干曲がつていること、同指PIP関節は、三分の二程は自動的に屈曲できるが、完全に屈曲させるためには左手の介助が必要であること、前前日来院して治療を受けたこと等を知つた。同医師は、前々日に安元医師によつて記載されたカルテを見たところ、その全ての記載を判読することはできなかつたものの、指の運動機能に障害があるとの記載は読み取れたので、その記載と宮崎医師自らが診察した結果得た腫脹、痛み、右第四指PIP関節の側方不安定といつた原告の症状から、PIP関節の外側が損傷を受けたことによつて靭帯損傷が発生している可能性があり、しかも、靭帯損傷によつて脱臼が生じる場合のあることを認識していたが、前々日に撮影されたX線写真では特に異常な所見は認められなかつたため、前記安元医師と同様に、原告の症状を右第四指PIP関節捻挫と判断した。ところが、同医師が、更に詳しく捻挫の程度等を検査するため、触診しようとして原告の右手第四指を触つたところ、原告は顔面蒼白となり、意識消失の状態となつたので、直ちに診察を中止して、被告病院の内科を受診させた。

原告は、内科において検査を受けたところ、心電図に異常が認められ、アダムス・ストークス症候群(不整脈の一種)であるとの診断を受け、再び宮崎医師のもとへ戻つて来た。しかし、原告は依然として気分が悪そうな状態だつたので、宮崎医師は、それ以上の診察を中止することにして、前記安元医師の処置と同様に、原告の右第四指を湿布した後、副子を用いることなく、ある程度は曲げ伸ばしのできる状態で、右第四指と右第三指とを一緒にテープで固定して帰宅させた。

(五)その後、原告は、指の腫れが引かないばかりか、以前にも増して指が機能的に曲がらなくなつたので、同月二八日、被告病院で再び宮崎医師の診療を受けた。同医師の診察によれば、原告の右第四指PIP関節には依然として腫脹と圧痛がみとめられた。ところが、触診の途中で、原告は再び気分が悪くなつたので、同医師は診察を中止して、前回と同様に原告の右第四指を湿布した後、これを右第三指と一緒にテープで固定する治療をして帰宅させた。

(六)右各治療にもかかわらず患部の状態は一向に好転しないので、原告は、同年三月七日、被告病院において、初めて別府医師の診察を受けた。同医師は、レントゲン技師に指示して改めて原告の右第四指のX線写真を撮り直させたところ、原告の同指の中節骨と基節骨の間にアラインメント(一直線になること)の乱れがあり、また、中節骨の基底部の掌側には骨片が認められたので、原告の症状を右第四指PIP関節脱臼骨折(骨折線が関節内に達しているものを関節骨折といい、それに脱臼を伴うものを脱臼骨折という。)と診断して、右関節をX線透視下に徒手整復をして、屈曲位(別紙手指構造図のごとき角度)にてアルフェンスシーネ固定を施すとともに、原告に対して、今後の治療方針としては屈曲位固定を二週間継続した後に指の自動運動を開始すること、受傷後三週間を経過しているので、関節に肉が巻きこみ、整復しても脱臼の状態に戻る可能性が強いこと、前記治療方針によつてもPIP関節の不安定性や疼痛が続いた場合には手術の必要があることを告げ、原告もこれを了解した。

(七)同月一三日、別府医師は、アルフェンスシーネ固定をはずして、X線透視下で診察したところ、原告の第四指PIP関節は亜脱臼の状態であつたので、原告に、観血的整復手術をした方がよいと告げ、更に、同月二〇日、早期に手術をした方が良いといい、被告病院において手術を受けるように原告に勧めたが、原告は同医師から手術してもらうことを希望し、同医師が間もなく福大病院へ戻ることになつていた(同医師は、福大病院から被告病院へ同年三月まで出向していたもの)ので、同病院での手術を希望した。

(八)そこで、原告は、同年四月九日福大病院に入院し、同月一三日別府医師の診察を受けた。その際、原告が右第四指の触診中に失神発作を起こしたので、同医師は、原告を横にして、血圧、心音を調べたところ、特に異常は認められなかつたが、同医師としては、原告の循環器系統に異常がないかどうかを確認したうえ手術を行いたいと考え、原告に内科医の診察を受けさせた。その結果、同月二三日に異常なしとの検査結果を得たので、同月二八日、同医師は、右第四指PIP関節の脱臼整復、骨接合の手術を行つた。その結果、右手術は成功し、原告は同年五月一九日退院した。

その後、原告は、福大病院に通院して、同年八月までリハビリテーションを続けたが、結局後遺症が残存した。同年八月一〇日の時点における後遺症は、右第四指PIP関節の可動域が、屈曲については、自動運動で七〇度、他動運動で八五度、伸展については、自動運動でマイナス二五度、他動運動でマイナス一〇度であり、昭和六一年一月一八日の時点においては、右第四指PIP関節の可動域は、屈曲については、自動運動で六〇度、他動運動で八〇度、伸展については、自動運動でマイナス五度、他動運動でマイナス五度となつている。なお、PIP関節の正常な可動域は、伸展が〇度、屈曲が一〇〇度ないし一一〇度とされている。

(九)原告は、本件負傷当時、油山青年の家に勤務していたところ、福大病院入院中整形手術前に原告に対し、福岡市教育委員会社会教育課長より、油山青年の家所長を通じて、本庁社会教育課への異動について打診があつたが、右手術を受ける旨伝えたところ、一、二カ月も字が書けないようでは仕事に差し支えるということで、右内示は取り止めとなつた。そして、原告は昭和五七年西市民センターを経て、昭和五九年五月一日付で現職の城南市民センター事業係長に昇進し、その給与は、給与等級の四等級二一号から三等級一五号に昇給した。

原告は、現在、右後遺症のために、右第四指を屈曲したときに、掌との間に鶏卵位の空間ができ、右手で小さな物を握つたり、強く握つたりできなくなつた。そのため、大便後の処理が右手でできなくなつたり、バスの両替機の小銭がつかめなかつたり、金槌を握る時に力が入らなかつたりするなど、日常生活に不自由を感じている。さらに、原告はバトミントンが好きで、福岡市民対象の新人戦で準優勝したこともあつたが、現在は、ラケットがすつぽぬけると危険であるということで、バトミントンもできなくなつている。

以上の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  受傷時における原告の負傷内容

1《証拠略》によれば以下の事実が認められる。

(一)突き指をはじめとする小さな外傷は、日常生活動作やスポーツなどで頻発し、しかも、その多くは「捻挫」としてなおざりにされているが、その中には剥離骨折、亜脱臼、靭帯断裂、腱断裂などが紛れ込んでいる場合があり、特に、指節間関節(IP関節)の脱臼又は脱臼骨折は、当該関節に側方或いは過伸展方向に過大の負荷がかかつたときに発生する頻度の高い外傷である。グローブをはめない右手の第三指・第四指PIP関節に軽度屈曲位で指尖からボールが当たつた場合には、中節骨基底部掌側に三角形の関節内骨折が起こり、その三角骨片は側副靭帯および掌側板がついているため原位置にとどまり、末梢が背側に転位してPIP関節は背側脱臼を起こすとされている。

(二)初診時において、骨折のみで脱臼が認められなくても伸展位固定を行うと遅発性に脱臼が発生する場合がある。

(三)一般に、骨折部の局所症状としては、<1>腫脹、疼痛、<2>皮下溢血、<3>機能障害、<4>変形、<5>異常可動性、<6>コツコツ音が挙げられ、また、脱臼の症状としては、<1>疼痛、<2>関節部の変形、<3>異常肢位における固定、<4>弾発性抵抗、弾発性固定、弾発現象、<5>肢長の変化、<6>関節窩の空虚と骨折異常位置の触診が挙げられているのであるが、PIP関節背側脱臼骨折の場合にも、右の脱臼や骨折の一般的な症状と同様の症状が生じる。

(四)X線写真は、PIP関節背側脱臼骨折の診断の重要な資料となるが、その際に最も重要なことは、PIP関節が正確に側方から撮影されることであり、斜位撮影では骨片や脱臼が見落とされる場合がある。

2 次に、前記二で認定したところによれば、原告の本件負傷には、以下のような特徴が認められる。

(一)原告の本件負傷は、ソフトボールの練習中に、グローブをしていない右第四指に斜め下方からボールが当たつたことによつて発生した。

(二)受傷直後から原告の右第四指PIP関節には、腫脹、疼痛、機能障害、変形といつた骨折や脱臼において通常見られる症状が認められ、しかも、これらの症状は、その後の安元、宮崎及び別府医師らの診療の過程でも継続的に認められている。

(三)本件負傷直後の安元医師の診察の際に撮影された、原告の右第四指PIP関節の側面からのX線写真は、正確な側面からではなく、やや斜位から撮影されたものではあつたが、右写真によれば、PIP関節の周囲には骨片や骨折線は写つておらず、また、それほど大きな偏位も認められなかつた。

(四)初診時以降、別府医師の診察を受けるまでの間、原告に対する治療としては、PIP関節の屈曲位固定は行われず、副子は用いなかつたが、どちらかといえば伸展位に近い状態で、関節を固定する治療が続けられた。

(五)本件負傷後約三週間程経過した時点で、別府医師により撮影された原告の右第四指のX線写真によれば、原告の同指の中節骨と基節骨の間にはアラインメントの乱れがあり、また、中節骨の基底部の掌側には骨片が認められ、明らかに右第四指PIP関節の背側脱臼及び中節骨基底部掌側骨折の存在が確認された。

3 前記1の事実を前提にして、右2の事実を検討すれば、原告には、本件負傷の時点から、右第四指PIP関節の脱臼もしくは同関節骨折を疑わせる症状が存し、しかも、これらの症状が継続したまま、本件負傷の三週間後に同関節背側脱臼骨折の確定診断を受けるに至つているのであるから、原告は本件負傷当時から同指関節の脱臼及び骨折がともに存在したか、受傷当初は右骨折のみであつたが、後にPIP関節の伸展位固定(少なくとも屈曲位固定をしなかつたこと)の継続により遅発的に脱臼を併発したかのいずれかであつたと認めるのが相当である。

この点に関して、被告は、原告は受傷後、三月七日の診断以前に、意識消失によつて倒れるなどして、関節捻挫を悪化させ、新たに骨折脱臼を生ぜしめたものであつて、本件負傷の時点においてはPIP関節骨折脱臼は生じていなかつたと主張する。しかし、前記認定によれば、原告が、二月一七日及び四月一三日の二回にわたつて診察中に意識消失状態になつて倒れたことが認められるが、これらの場合にはいずれも診察中であつて、《証拠略》によれば、原告の周囲には医師及び看護婦らが居合わせ、これらの者が倒れようとする原告を支えたため、床の上に転倒するなどの事態は避けられたことが認められ、また、原告が診察中にかかる意識消失の状態に至つたことから直ちに、その他の日常生活の場面で右第四指PIP関節に骨折や脱臼を生じるような事態が発生したものと推認することもできない。他に、前記認定を覆すに足る証拠はない。

四  被告の債務不履行責任について

1  昭和五六年二月一五日、原告と被告病院との間には、原告の症状及び原因を医学的に解明し、必要にして十分な治療を実施することを目的として、診療契約(準委任契約)が結ばれたことについては、当事者間に争いがない。そこで、被告は、原告に対し、履行補助者である安元、宮崎、別府の各医師及びその他の被告病院職員をして、右契約上の債務の本旨に従つた診療行為をなさしめる義務を負つていたことになる。そして、その診療義務の内容は、医師としての専門的知識、経験を通して、当時における医療水準に照らし、原告の病的症状及び原因を医学的に解明し、その症状及び以後の変化に応じて必要かつ十分な診療行為をなすべき義務ということができる。

そこで、本件においては、前記認定のとおり、原告が観血的手術を余儀なくされ関節に後遺障害が発生しているので、被告の履行補助者である前記の各医師の診療行為が、右手術及び後遺障害との関係で、果して右債務の本旨に従つたものであつたかどうかを、具体的に検討することになる。

2  右の検討の前提として、まず、治療による本件後遺症発生の回避の可能性について判断する。

(一)《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

(1)一般に、手指部骨折の治療に当たつては、指骨の周囲には腱や腱膜が密接しているので、わずかな骨の転位であつても、これが放置されると、圧迫や血腫により腱の癒着を生じたり、腱のバランスを崩したりして指の繊細な機能を障害することとなるが、新鮮なうちであれば、整復も容易であるから、早期治療による正確な整復、適切な固定、早期運動による拘縮の予防をすれば、手指の機能の回復は可能である。

(2)右のことはPIP関節の損傷の場合も同様であつて、同関節に背側脱臼骨折が存在する場合はもとより、初診時骨折のみで脱臼が認められない場合でも伸展位固定を行うと遅発性に脱臼が発生することがあるので、その治療に当たつては、脱臼を整復したうえ早期に屈曲位固定を行い、そのあと活発に運動を行えば、一般に満足すべき機能的な治癒を得ることが可能であるが、もしこれらの損傷が三週間以上発見されずに経過した場合は、通常手術的治療を要し、その成績も様々で、結果として恒久的な機能障害を来すことがあるとされている。

(二)そうすると、本件においては、前記三の3で認定したとおり、原告には本件負傷当時から少なくとも右手第四指中節骨基底部掌側骨折が存在したのであるが、その骨折は骨片の転位を伴わない比較的軽度の骨折であつたと考えられること、仮にPIP関節の脱臼が存在したとしても、X線写真でもそれほど大きな偏位は認められず比較的軽微のものと考えられること、などからすれば、受傷後早期に屈曲位固定が施されることにより、原告の右第四指PIP関節は、非観血的に障害を残すことなく機能を回復できたものと推認するのが相当である。

(三)そして、前記二の2の(二)(四)(五)で認定したとおり、被告病院においては、原告の本件負傷に対して、屈曲位固定はせず、単にテープによつて右第四指を右第三指に固定したのみで、PIP関節は自由に屈伸できる状態であつたところ、三月七日になつて初めて同関節の脱臼骨折が発見され、急遽、副子による屈曲位固定が施されたが、その時点では、もはや原告の右第四指PIP関節の機能回復は十分に期待できない状態に立ち至つていたものと推認される。

(四)これに対し、被告は、仮に早期に骨折の診断をしたとしても、最終的に手術をなすべき可能性は十分に考えられ、しかも、原告の診察中における意識消失を考慮すれば、手術の際の万一の死亡などの重大な結果の発生を避けるために、むしろ、相当期間の精密検査が必要不可欠であり、早期の手術は不可能であつて、ほぼ本件と同様の過程を経たであろうと推測され、本件後遺障害の発生は回避できなかつたはずであると主張する。しかし、前掲甲第四号証によれば、PIP関節脱臼骨折の場合において、受傷直後の段階で手術を要するのは、受傷直後から転位を伴う骨折の生じている場合であつて、通常本件のように転位を伴わない骨折の場合には、保存的療法で治療するものとされ、しかも、前記認定のとおり、右屈曲位固定による保存的療法により後遺症を伴うことなく治癒したと思われるのであつて、当初から手術を必要としたことを前提とする被告の右主張は理由がない。

また、被告は、脱臼骨折の判明後、原告が福大病院での手術を希望し、しかも、その後の診察中においても意識消失を生じたために検査の必要が生じた結果、後遺症を生じない期間内の手術が不可能となつたものであると主張するのであるが、《証拠略》によれば、受傷後三週間を経過するまでの間、脱臼骨折を発見できない場合においては、後遺症を回避することは因難になるとされていることが認められるところ、前記二の2の(七)で認定したとおり、別府医師が初めて観血的手術の必要を原告に告げたのは昭和五六年三月一三日であり、受傷後既に四週間を経過しており、その時点で直ちに手術をしたとしても、その後数週間の屈曲位固定が必要であることを考慮すると、もはやその時点で、後遺障害の発生を回避することは極めて困難であつたものと認めるのが相当である。したがつて、被告の主張する事情は本件後遺症の発生を何ら左右するものではないといわざるをえない。

他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

3  PIP関節脱臼骨折の診療についての一般的注意義務について、《証拠略》によれば、以下のとおり認められる。

(一)PIP関節は、他の指関節に比べて最も大きな可動域(屈曲一〇〇度ないし一一〇度)を有し、指の機能を維持する上で重要な役割を担う関節であるが、この関節に脱臼や骨折を生じた場合でも、これを早期に発見できれば、非観血的治療によつて満足すべき機能的な治癒を得ることが可能である反面、これらの障害が三週間以上発見されずに経過すると、通常、手術的治療を要し、しかも、その成績は様々である。

(二)PIP関節の負傷は、それが簡単なまたはただの捻挫と思われる場合であつても、亜脱臼であつたり、カプセルの断裂や軽度の抉出骨折を伴う自己整復脱臼を生じている場合もありうる。

(三)一般に骨折の有無の判断は、骨折部に発生する局所症状(<1>受傷部位の腫脹、疼痛、<2>皮下溢血、<3>機能障害、<4>変形、<5>異常可動性、<6>コツコツ音)に注意すれば容易であるが、その他に、骨折を起こすと考えられる外傷機転の存在やX線写真も重要な判断材料となる。

(四)骨折の診断において、X線写真による診断は不可欠のものとされているが、この診断に当たつては、正面及び側面二方向から正確に患指のX線写真撮影を行うことが必要であつて、特にPIP関節の正確な側方撮影が重要であるとされている。

(五)PIP関節骨折及び脱臼の治療としては、二~三週間の間は患部を屈曲位で固定し(屈曲位固定は、別紙手指構造図表示のとおり、MP関節一五度、PIP関節六〇度、DIP関節一五度で行うのがもつともよいとされている。)、そのあと活発に運動を行わせる必要がある。

以上によれば、PIP関節脱臼骨折の診療に当たる医師としては、次のような注意義務を負つているものと解するのが相当である。

<1> 診断に当たつては、骨折の局所症状、外傷機転の存否及び正確なレントゲン写真をもとに、骨折や脱臼の有無などについて的確な診断を行わなければならない。

<2> 治療に当たつては、脱臼や骨折の認められる場合は勿論のこと、捻挫と診断した場合であつても、隠れた脱臼や骨折が予想される場合は、PIP関節を屈曲位において固定しなければならない。

4  そこで、原告ら主張の被告並びにその履行補助者である安元、宮崎の両医師及びその他の被告病院職員の診療上の注意義務違反の有無について判断する。

(一)安元医師の診療上の過失について検討する。

(1)まず、診断について、前記四の3で認定したとおり、PIP関節脱臼骨折の診察に当たる医師としては、骨折の局所症状、外傷機転の存否及び正確なX線写真をもとに的確な診断を行うべき注意義務を負うものであるところ、前記二の2の(二)において認定したところによれば、安元医師は、原告の本件負傷を診察するに際して、原告に対する問診により、グローブをしていない右手指に下から跳ねてきたボールが当たつて受傷したとの受傷機転の説明を受け、また、その視診及び触診の結果によつて、原告の右第四指PIP関節付近に浮腫状の腫脹及び発赤を認め、同指が自動的には屈曲運動ができず、また、他動的にも運動制限が認められ、しかも痛みを伴う状態であること等の局所症状の存在を認めた。そして、前記三の3で認定したとおり、当時少なくとも右第四指PIP関節周辺に関節骨折を示す骨片が存在していたにもかかわらず、X線写真が正確な側面からではなく、やや斜位から撮影されていたために、同医師は、右骨片の存在を看過し、若干関節の偏位はあるものの、それも正常範囲内であると考え、以上の問診、視診、触診の結果をも総合して判断した結果、同関節に骨折や脱臼の存在を認めず、単なる関節捻挫と診断したのである。

(2)次に、治療に当たつては、脱臼や骨折の認められる場合は勿論のこと、捻挫と診断した場合であつても、隠れた脱臼や骨折が予想される場合は、PIP関節を屈曲位において固定しなければならないとされているところ、前記認定のとおり、安元医師は、単なる関節捻挫と誤診した結果、治療として、右PIP関節を湿布した後、包帯を用いて第三指にやや伸展位に近い状態で固定しただけであり、これを屈曲位にて固定する処置を施さなかつたのである。

(3)以上によれば、安元医師は、まず、少なくとも関節骨折を見落した誤診があるほか、一見して脱臼と分かるほどではないにしても、若干の関節の偏位が認められたのであるから、隠れた脱臼や骨折が予想される場合に当たると考えられ、したがつて、直ちにPIP関節を屈曲位において固定しなければならなかつたのに、これを施さなかつた点に、同医師の診療方法は不適切であつたものといわなければならない。

(4)しかし、安元医師は、当日は休日夜間の救急医療担当者として診療に当たつていたものであり、しかも整形外科の非専門医(専門は耳鼻科及び放射線科)であるから、その任務である診療内容は、緊急を要するものは直ちに専門医に転送し、そうでないものは一応の応急処置をして、翌日直ちに専門医の診察を受けるよう指示することで足り、専門医と同様の診療行為までは要求されていないと解すべきである。そうすると、同医師は、前記認定のとおり、原告に対し、翌日被告病院に来て専門医の診察を受けるよう指示しているのであるから、前記のような診療行為の不適切があつたとしても、これをもつて同医師の過失と認めるのは相当ではないというべきである。

(二)翌二月一六日の診察拒否について検討する。

前記二の2の(三)で認定したとおり、原告は、翌日の二月一六日、被告病院を訪ねたが、整形外科の診察は受けず、たまたま、この日は風邪気味であつたことから、内科の診察を受けたのみで、帰宅したのであるが、この点につき、原告は、翌日被告病院整形外科を訪れたが、看護婦から、今日は医師が忙しいからといつて診療を断わられたと主張し、原告本人尋問の結果中にはこれに沿う供述部分がある。もしそのような事実があつたとすれば、もちろん被告病院の担当医が診療すべき義務を怠つたものとして違法である。しかし、《証拠略》によれば、そのとき看護婦は、今日は忙しいから明日また来てくださいといつたので、原告は翌一七日に被告病院整形外科で受診していることが認められる。ところで、手指の関節の脱臼骨折等の傷害は、特に緊急を要する症状ではなく、一応の応急処置がなされている以上、仮に専門医による診察が一日遅れたとしても、そのことから直ちに重大な結果を生じることは考えられない。したがつて、右専門医による診察が一日遅れたことと本件後遺障害の発生との間には相当因果関係はないといわざるをえない。

(三)宮崎医師の診療上の過失について検討する。

(1)二月一七日の診療について

宮崎医師は、前記3で認定したとおり、PIP関節傷害の診療に当たる専門医としては、前記のとおり、<1>診察に当たつては、局所症状、外傷機転の存否及び正確なX線写真をもとに脱臼や骨折の有無等につき的確に診断を行うべきであり、<2>治療に当たつては、脱臼や骨折の認められる場合は勿論のこと、関節捻挫と診察した場合であつても、隠れた脱臼、骨折が予想される場合は、PIP関節を屈曲位において固定しなければならない注意義務を負うものである。そして、原告の初診が、整形外科医でない当直医の安元医師によつて行われたのであるから、単に安元医師の診断を鵜呑みにするのではなく、専門医として改めて原告を診察すべき注意義務があることはいうまでもない。

前記二の2の(四)で認定したところによれば、宮崎医師は、二月一七日に原告を診察した際、問診、視診の結果によつて、外傷機転、腫脹及び疼痛の存在、機能障害、側方不安定を知り得たのであるが、安元医師によるカルテの記載や初診時のX線写真撮影の結果に基づき、安元医師と同様、原告の負傷を関節捻挫と診断した。ところが、宮崎医師が触診を行おうとして、原告の患部を触つたところ、原告は顔面蒼白となり、意識消失の状態となつたので、診察を中止して、被告病院内科において検査を受けさせたが、内科医受診後においても原告は気分が悪そうであつたので、それ以上の診察を中止したのである。

更に、前記認定によれば、宮崎医師は、PIP関節の外側不安定の原因として靭帯損傷が起こつていると診断し、かつ、靭帯損傷は背側脱臼につながることをも認識していたにもかかわらず、右脱臼を防止するための屈曲位固定を行うことなく、単に右第四指PIP関節を湿布した後、副子を用いることなく、これを右第三指とテープで固定したのみであつて、PIP関節をある程度自由に屈曲できる状態のままにしていた。

以上によれば、宮崎医師の当日の診療行為について、<1>安元医師の撮影したX線写真が、やや斜めから撮影されており、専門医であれば、正確な診断には相当でないことが写真自体から判断できたと思われるのに、漫然と右写真に基づいて診断した結果、骨折(あるいは脱臼も)の存在を見落としたこと、<2>仮に脱臼・骨折がないと判断したとしても、外側不安定等があり、脱臼の隠れた存在、または遅発的に発生するおそれが認められたにもかかわらず、これを防止するための屈曲位固定をしなかつたこと、の二点について診療上の注意義務の懈怠があつたものといわざるをえない。

(2)二月二八日の診療について

《証拠略》によれば、捻挫の場合には一般に予後は良好であることが認められるのであるから、医師としては、当初捻挫と診断したとしても、受傷後相当期間を経過してもなお症状が軽快しない場合には、従前の診療を踏襲するのではなく、改めて診察を行い治療法の変更等を検討すべき注意義務を負うものと解するのが相当である。しかるに、前記二の2の(五)に認定したとおり、宮崎医師は、負傷後二週間が経過した二月二八日においても原告の右手第四指PIP関節に腫脹と圧痛が継続して認められ、しかも前回の診療方法が前記認定のように不適切なものであつたのであるから、同日改めて正確なX線写真を撮り直すなどして、診断や治療方法を再検討すべきであつたのに、漫然と従前の診断と治療を継続するのみで、新たな検査や治療を試みなかつたものであり、この点について同医師の診療行為には右注意義務の懈怠があつたといわなければならない。

なお、被告は、この日の診察の際にも、原告が気分が悪いと訴えたので、診察を途中で中止せざるをえなかつた旨主張するが、前記二の2の(五)で認定したとおり、原告が気分の悪さを訴えはしたものの、意識が消失する程ではなく、診察不可能な程度に達していたものとは認められず、十分な触診はできないとしても、X線撮影等は十分可能であつたと考えられる(患指に対する湿布の処置はできたのである。)から、このことから直ちに前記注意義務違反の責任を免れ得ると解するのは相当ではない。

5  被告病院の診療体制における構造上の過失の有無について判断する。

(一)多数の医師や看護婦等を擁する医療機関においては、同一の患者の診療に多数の者が関与することとなるので、これらの関係者の間で当該患者の診療に関して十分な情報の交換が行われる体制がとられる必要があり、特に、診療に研修医が関与する場合には、その研修医の診療について他の経験ある医師等による指導や検討を行い、患者に対して適切な診療を提供できる体制を整えることが必要であると考えられる。

ところで、被告は被告病院の経営を目的とする医療法人であるところ、前記認定のとおり、被告病院においては、本件原告の治療に当たつて、以下のとおり不適切な診療が行われた。

<1> 当直医である安元医師が原告の診療に当たり、原告に対して翌日の来院を指示していたにもかかわらず、原告本人の供述によれば、原告は、整形外科としては重要な診療の機会であつたはずの翌日には診察を受けられなかつた。

<2> 研修医ではあるが整形外科医である宮崎医師が、安元医師の記載したカルテの内容が正確に判読できず、X線写真がやや斜位撮影のため不正確であるにもかかわらず、同医師の診断と治療について専門科医として再検討を十分行うことなく診療した。

<3> 本件負傷から約二週間を経過した二月二八日においても原告の症状が回復に向かつていないにもかかわらず、研修医である宮崎医師は、改めてX線写真を撮影するなどして治療方法を検討し直すことなく、従前の治療を繰り返している。

<4> この間、本件全証拠によつても研修医たる宮崎医師と経験を有する別府医師との間で何らかの連絡・指導がなされた事実が認められない。

(二)原告らは、これらの診療行為の欠陥は被告病院における診療体制の構造上の欠陥に由来するものであると主張する。しかし、前記認定のとおり、これらの診療行為の過誤はいずれも個々の医師の診療上の注意義務の懈怠に基づくものとして、個々の医師にその責任を求めることができるのである。右の個々の診療行為の過誤と被告病院における診療体制との間の関連性については、いまだ明確ではなく、本件全証拠によつても、この点に関する十分な証明があつたものとはいえない。結局、個々の医師の過失とは別に、被告病院における診療体制の構造上の欠陥にその責任を求めることはできないといわなければならない。

6  以上によれば、結局、原告が前記手術を余儀なくされ関節に本件後遺障害が発生したのは、宮崎医師において、原告の本件負傷に対する診療上の注意義務の懈怠に基づくものであるということになる。

そうすると、原告に対し診療契約上の診療債務を負う被告としては、被告の履行補助者である宮崎医師が前記のとおり診療義務を尽くさなかつたのであるから、被告は、右診療契約上の診療債務の不完全履行として、民法四一五条により、前記手術及び後遺障害に基づく原告の損害を賠償する義務があることになる。

四  損害について

1  入院雑費 二万八七〇〇円

前記二の2の(八)で認定したところによれば、原告は、右第四指PIP関節の整復手術を受けるために、昭和五六年四月九日から同年五月一九日までの四一日間、福大病院に入院したものであり、右入院期間内に要した入院雑費については、一日当たり七〇〇円の限度において認容するのが相当である。

(計算式)七〇〇円×四一日=二万八七〇〇円

2  通院交通費 六六〇〇円

《証拠略》によれば、原告は被告病院に通院するに当たつて、バスを使用し、また、福大病院へ通院するに当たつて、バス及びタクシーを使用していること、バス代は片道一一〇円(往復二二〇円)を要したこと、被告病院へは七日間通院し、福大病院へは二六日間通院していることが認められるところ、通院交通費としては、バス代三〇日分の六六〇〇円の限度において認容するのが相当である。

(計算式)二二〇円×三〇日=六六〇〇円

3  休業損害

前記認定によれば、原告が本件負傷の治療及びその後の入院によつて休業したことは認められるものの、その間の賃金の支給を停止されたことについては、これを認めるに足りる証拠がない。従つて、休業に伴う損害は認められない。

4  入通院慰謝料 八〇万円

《証拠略》によれば、原告は本件負傷の治療のため、福大病院に入院四一日間、通院五か月二五日間(実通院日数三三日)に及んだことが認められるところ、右の通院期間のうち、福大病院に入院する前までの通院は、本件手術及び後遺障害に基づくものではなく、被告の責任を認めるのは相当でないから、この事情をも考慮したうえで、本件に現われた諸般の事情を総合して判断すると、原告の右入通院に対する慰謝料としては、八〇万円と認めるのが相当である。

5  昇進遅延による逸失利益

前記認定のとおり、原告は、本件手術及び後遺障害のため、福岡市教育委員会本庁への転勤を断わらざるを得なかつたことが認められる。そして、《証拠略》によれば、福岡市役所本庁へ転勤すれば、昇給の可能性が生じることが認められるが、本件全証拠によつても、右の昇給がどの程度に確実であるのかは明らかではなく、結局、昇給の遅延による損害を算定することはできず、右損害を認めることはできない。従つて、この事情は、前記慰謝料の算定資料の一つとして考慮することとする。

6  後遺症逸失利益一九一万八一二二円

《証拠略》によれば、原告の後遺症発生時期以前における一月の給料は二四万八四〇〇円であることが認められるところ、年間に支給される給料は一七月分であると推認できるのであるから、その年収は四二二万二八〇〇円となるものと解される。

原告には、前記二の2の(八)に認定したような右第四指PIP関節の機能に障害があり、その後遺障害の程度は労働基準法施行規則別表第二の身体障害等級表の第一四級に相当すると認めることができるところ、原告は福岡市教育委員会に勤務する公務員であつて、右後遺症の存在により労働能力を三パーセント程度喪失し、その期間は昭和五六年八月一〇日(三八歳)から六七歳に達するまで二九年間継続すると認めるのが相当である。その間の中間利息はライプニッツ方式で控除するのが相当である。二九年のライプニッツ係数は一五・一四一〇である。

以上によると、右の始期における現価は、次の計算式により、一九一万八一二二円となる。

(計算式)(二四万八四〇〇円×一七月)×〇・〇三×一五・一四一〇=一九一万八一二二円

7  後遺症慰謝料 七〇万円

原告は、前記認定のような後遺症を残したものであるが、《証拠略》によれば、同人は、これによつて現在日常生活に不自由を感じ、又、趣味のバトミントンを楽しむことができなくなるなどの肉体的精神的苦痛を受けている事実を認めることができる。このような本件に現われた諸般の事情(特に前記昇進遅延による逸失利益の算定が不能である事情等)を総合考慮すれば、これによる慰謝料は、七〇万円と認めるのが相当である。

8  弁護士費用 四〇万円

原告が、本件訴訟の提起を余儀なくされ、右訴訟の提起及び遂行を原告訴訟代理人らに委任した事実は、当裁判所に顕著であり、これに対し相当額の報酬の支払を約したことが推認でき、本件事案の難易、請求額、前記認定の各認容額及び本件訴訟の経緯等諸般の事情を斟酌すれば、右報酬額のうち、本件事故と相当因果関係ある損害として被告に賠償を求め得る額は、四〇万円と認めるのが相当である。

五  結論

よつて、原告の本件請求は、債務不履行による損害賠償請求権に基づき前記の合計三八五万三四二二円及びこれに対する催告の後である昭和六一年一二月一二日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 綱脇和久 裁判官 松藤和博)

裁判官 上原理子は、退官につき、署名捺印することができない。

(裁判長裁判官 綱脇和久)

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